WebCGを読んでいたら、CX-3のレビュー記事で熊倉重春氏が次のように書いていた。
それはそれとして、こんなに程よく仕上がった優等生であることを認めながら、気持ちの片隅に引っ掛かるものもある。エンジンをはじめ変速機から車体まで根底から見直すスカイアクティブ路線を完遂した技術陣の努力と精進は、あくまでも「今」のこと。それを超えた「未来」を感じにくいというより、かなり20世紀的な価値観を引きずっているように思えてしまう。キッと鋭いまなざし、かみつくようなグリル、長く見せるボンネットなど、どれも前世紀にもてはやされた手法ばかりではないか。
わたしのようなジイサンには昨今のマツダデザインの方がトヨタのスピンドルグリルより何倍もエモーショナルな部分に響いてきますから、確かに言おうとしている点が理解でき、「なるほどそうだったのか」と納得できます。
氏は続けて・・・
まずよく知られた成り立ちで世の中を安心させて支持を集め、それから新しい境地に踏み出すことになるのだろう。
とも書いてます。そうだとすれば次世代のマツダデザインが出てくるとジイサンたちの感性は切り捨てられてしまうんでしょうか?
それはそれで寂しいです。期待半分不安半分ですな。
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